親に対してつい反発してしまう
3年ぶりの行動制限のないゴールデンウイーク、実家に帰って久しぶりに親と直接対面する方も多いのではないでしょうか。
お互い元気に過ごしている姿を確認できて安心する反面、親がなにかと過干渉に感じられたり、親の言うことに反発を感じたりで結果ケンカして終わり、家に帰ったあとで罪悪感にかられたというお話もこの時期は多く聞きます。
また、会わずにたまに電話をするだけでも話せばやがて口論となり、最終的には物別れとなり「言わなければよかった」といつも後悔するといった話もあります。
言いたいことを言ってスッキリならいいのでしょうけれど、あとで苦々しい感情が残るのはイヤなものですよね。
おそらく親が嫌いなわけでもなく、和やかに会いたいと思っているのにどうして結果的にギスギスしてしまうのでしょうか。
怒りの感情が出てしまう要因
そのようなご相談を受けていて、私は二つ共通点があると感じます。
ひとつは子供の理想として「親はいつまでも尊敬できる存在でいてほしい」という気持ちが強いケース、もうひとつは小さい子供時代に親に甘えきれなかったり、満たされなかった思いを抱えているケースです。
前者の場合は高齢になった親が子供に依存的になり、過剰な心配をしたり逆に頼り切るようになってきて、子供が「そんな心配よりもっと親自身のことを考えてほしい」「(自分の)親なんだからもっとしっかりしてほしい」という苛立ちを感じます。後者の場合は小さいころ「お姉ちゃんだから我慢して」「男だから耐えろ」などと言われて、親に甘えたくても充分甘えさせてもらえなかった思いがあり、高齢の親が自分に甘える対応をすると「本当は自分もそうしてほしかったのに、今さら親が甘えてくるのは受け入れられない」と憤りを感じます。
どちらも「現状の親を許せない、認めない、こうあってほしい」という思いが心の底にあると思います。しかし親にはそういった感情は伝わっていないために、表面上の言葉のやりとりで「子供の対応が冷たい」「自分のことをわかってくれない」という不満をぶつけます。普段離れて生活していると、接したときに余計親の衰えを感じるでしょうから子供のほうも不安や怒りが強まり、最後はケンカになってしまうのでしょう。
そして子供のほうは本音を話せないまま、大切に思っているのに親にキツい物言いをしてしまったことに罪悪感や後悔を感じることになります。
親を許せない気持ちが出てきたら
親と話をしていてイラっときたり、ケンカになりそうになったら「親はいつまでも元気ではない。明日どうなるかわからない」と自分に言ってみてください。
親に理想像を求めたり、頼られるとイラつくのは「親が以前と変わらない状態である前提」だからです。もちろん頭では親が高齢になっているし、人間だから寿命があることも認識していると思いますが、心のどこかで「ずっと元気で生きているもの、そうであってほしい」という漠然とした希望があるかもしれません。
親にはもう残された時間が少ないことを認めて、ケンカしたまま亡くなったとしたら自分はどう感じるか自分に問いかけてみてください。
そして親が育ってきた環境や時代背景を理解し、一人の人間として親を見るようにするとその未熟さ不完全さを許せるようになったり、自分のかつての寂しさや親に対する思いを率直に話せるようになり、怒りを感じずに話せるようになってきます。
親とは精神的な距離が近い分、ぶつかることが多いのは仕方ないですが、明日何が起こっても後悔しないように、「最後は笑顔で締めくくる」ことを心がけておいてもいいかもしれませんね。
プロフィール
■氏 名 佐藤 栄子
大手不動産会社で約20年、主に秘書として勤務。社員のヘルスケアも担当したことがきっかけで心理学を学ぶ。義父の介護手伝いのため会社を退職し、退職後は心理カウンセラーとして活動。電話・メール、対面などのカウンセリング、心理テスト作成、コラムの執筆を行っている。
一般社団法人 全国心理業連合会 上級プロフェッショナル心理カウンセラー認定試験 合格
「親子ネクト〜離れて暮らす親が、ふと心配になったら〜」は、離れて暮らす親を心配されているご家族向けに、親に関する様々なお役立ち情報を発信しているブログサイトです。
タイトルの「親子ネクト」は親とつながる(コネクト)をイメージしております。
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